『啓蒙思想2.0〔新版〕 政治・経済・生活を正気に戻すために』
啓蒙思想2.0
https://gyazo.com/5451e832f09186dfdeffeee293d1e993
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784150505875
世界はもはや右翼/左翼ではなく、狂気/正気に分断されている。保守主義や認知科学を動員した、新しい啓蒙思想。解説:宇野重規
目次
序章 頭vs心
第1部 古い思考、新しい思考
第1章 冷静な情熱 理性――その本質、起源、目的
第2章 クルージの技法 あり合わせの材料から生まれた脳について
第3章 文明の基本 保守主義がうまくいく場合
第4章 直観が間違うとき そして、なぜまだ理性は必要か
第5章 理路整然と考えるのは難しい 新しい啓蒙思想の落とし穴と課題
第2部 不合理の時代
第6章 世界は正気をなくしたか ……それとも私だけ?
第7章 ウイルス社会 心の有害ソフト
第8章 「ワインと血を滴らせて」 現代左派の理屈嫌い
第9章 フォレスト、走って! 常識保守主義の台頭
第3部 正気を取り戻す
第10章 砲火には砲火を あるいは、なぜブタと闘うべきではないのか
第11章 もっとよく考えろ! その他の啓蒙思想からの無益な助言
第12章 精神的環境を守る 選択アーキテクチャー再考
第13章 正気の世界への小さな一歩 スロー・ポリティクス宣言
エピローグ
謝辞
原註
訳者あとがき
索引
meganii.icon感想(意訳あり)
途中の話が長すぎ、かつ、自分の政治、民主主義に対する理解が足りていないので頭から最後まで読み切ることを諦めた。「もっとポイントを絞って書いて欲しい」と感じたが、そう感じること自体がファストライフに染まっている証。「スロー・ポリティクス」の要領で、あえて読むペースを落とし、熟慮すべきなのかとも思った。再読したときの自分に期待しよう。
何事にも早さを求められる現代社会において、速度を落として物事を考えるというのは大切なのかもしれない。/omoikaneの中で熟議というキーワードもあり、深掘りしてみたい。
そもそも「啓蒙」とは、物事に暗いことを啓(ひら)くことで、無知を有知にするという意味。本書では、ドイツの哲学者イマニュエル・カントの「啓蒙とは何か」を引用し、 『「啓蒙」とは勇気を持って自分の理性を使用すること。人間には理性があるのだから、偏見や思い込みを排して、公共的に理性を使用すればよい』という立場を取っている。
「啓蒙」とは、「蒙(無知蒙昧の蒙。物事に暗いこと)」を「啓(ひら)く」ことで、無知を有知にする意味。18世紀フランスに起こった啓蒙思想での「無知」とは、封建社会の中で教会的な世界観の中に閉じこめられていた人々のことを言い、彼らに対して「人間」や「社会」、あるいは「世界」や「自然」の真実を教え、無知から解放することが「啓蒙」であった。その啓蒙思想は当時のフランスのブルボン朝ルイ15世の絶対王政と、そのもとでのアンシャンレジーム社会に対する攻撃という毒を含むこととなった。 from 啓蒙思想
啓蒙思想1.0は、理性を個人のものと捉えたために立ち行かなくなった。なぜなら、この捉え方をすると、個人に対してもっと合理的に考えろ、自制しろという精神論となる策しか生まれてこないからだ。
そこで啓蒙思想2.0では、理性は多様な個人にまたがる非集権的で分散的なものであるという認識のもと、「理性は社会事業である」と再定義した。理性は、社会的・文化的環境に大きく依存する。個人に頼るのではなく、環境そのものを合理的な思考と計画に役立つものに整備していくことで間接的に人に働きかける。(すなわち「外部足場」)
37のときだけ処理を追加するというプログラム関数の例えが、付け焼き刃の対応、とって付けただけの対策であり、根本は何も変わっていないがうまくいっているように見えているだけというクルージの様を表していてとてもしっくりきた。
(もしかしたら既にあるのかもしれないが)社会制度やプロセス設計にも、グッドデザイン賞のようなものがあればいいのにと本書を読んで思った。